草場純『遊びの宝箱』を読んだはなし。
こんばんは。遠野です。
ついに『エクリプス・フェイズ』日本語版が発売されましたね。
- 作者: ロブ・ボイル,朱鷺田祐介,岡和田晃,待兼音二郎,エクリプス・フェイズ翻訳チーム
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2016/06/30
- メディア: 大型本
- この商品を含むブログ (3件) を見る
数年前からずっと刊行が予告されていた傑作ハードSFTRPG。僕は一度だけイベントで遊んだことがある程度の経験しかないので、しばらくは分厚いルールブックを読み込むことになりそうです。早く誰かと遊びたいですね。
草場純『遊びの宝箱』を読んで。「遊びの場」を作ること。
さて。今日は『エクリプス・フェイズ』と同じ日に買った『遊びの宝箱』という本の話を少し。
この本、著者は2000年に第一回ゲームマーケット主催者の草場純さん。「花いちもんめ」や「古今東西」などの有名なものから、「今年の牡丹」「Sケン」など、昔からあるけど今は知名度の低い子供の遊びを紹介していて、その数はなんと100種類にも及んでいます。一つの遊びに一頁が割り当てられていて、簡潔な文章でルールの勘所を抑えた紹介は、読んでいると自分自身の遊びの経験を喚起されずにはいられません。知っている遊びの紹介を読んでいると「そうそう、この遊びはこの部分が面白かったんだよ!」と一人でにやけてしまいます。
巻末には草場さんと、教育評論家の斎藤次郎さんの対談が載っているのですが、これもまた面白い。特に次の箇所は、「まりつき」の解説と合わせて読むと非常に興味深い内容でした。
ルールを守るというのとも少し違うな、ルールだから守っていたのじゃなく、みんなでその場を作っていくという内的衝動につき動かされて遊んでいたのが実感ですね。(巻末対談)
バスケットボールのドリブルと【まりつき】では、リズムも目的も違います。(略)【まりつき】では歌のリズムに合わせてまりと対話するのです。(まりつき解説)
一つ目の引用は、草場さんが子供時代の遊びの経験を振り返って語ったもの。二つ目は、まりつきの遊びの肝を解説しているくだりです。二つの引用は、同じ本質を、別の言葉で表しているように僕には思えます。
一つ目の引用では、決まりだから「ルール」を守るという受動的な行為と、「みんな」で作っていく能動的な行為が比較されています。そして「みんな」というのは、遊んでいる「子供たち」だけでなく、「ルール」自体も含んでいる言葉のように思えます。ルールは基本的に守って遊ぶものです。けれど、ルールがフォローしていない例外的状況が発生した場合に自分たちでルールを付け足したり、あるいは自分たちの行動にあえて制限をかけることで遊びを成立させようとする。そういった能動的行為が「遊びの場」を作っていく。
一人遊びのまりつきでも、同じことが言えるでしょう。歌のリズムと、まりの動きに、自分の身体を合わせて動かすのがまりつきという遊びです。先ほどの「ルール」を「まり」に代えて考えることができます。遊び始めの頃は、まりは自分の思うようには動いてくれません。その想定外の動きは、ルールにとっての例外的状況と同じです。まりの動きに合わせて自分の身体をコントロールすることによって、まりつきの「遊びの場」は成立します。
ルールに従うことや、道具を使うことだけでは遊びは面白くなく、そこに遊びを構成する「みんな」との能動的な関係を築くからこそ、遊びは楽しいのだということを、この本を読んで思い出しました。二つ目の引用の最後にある「まりと対話するのです」という言葉は、そのような関係を言い表しているように思います。
面白い遊びのほとんどには、このような関係が組み込まれているのではないでしょうか。冒頭で『エクリプス・フェイズ』の話をしましたが、TRPGなどはまさにそのような対話的な関係を作ることを前提としたゲームと言えます。ルールブックに書いてあるルールや情報には、プレイヤー同士の対話を誘発する機能があります。
そして……
そして、僕らが現在製作中のTRPGも、対話が発生するゲームデザインを目指しているわけで、今日はその辺の紹介をしてみようかと思ったのですが、睡眠時間が危ないので今日のところは寝ます。おやすみなさい。(ゲームの話はまた次回にでも……)